ログしておきたいと思ったので
自分のブログなので別に断りを入れるものでもないのですが、基本このブログはシンプル・ミニマルライフへの自分の思いや実践の変遷を残しておこうと始めました(多少の参考にもなればという思いもあります)。
が、今回は番外編のような内容です。
実は先日、神戸のワールド記念ホールで開催された小田和正さんのライブに行ったのです。
なお、私は中学生の頃からかれこれ35年以上のファン歴です。
↓これは私の小田さんコレクションに残していた雑誌の切り抜きです。
おそらく1985年ぐらいでしょうか。多分週刊明星とかセブンティーンとかの週刊誌だと思います。←1980年代はオフコースもアイドル扱いのような感じだったのですよ…
この頃はタモリさんとオフコース(小田さん)は犬猿の仲と言われていましたね^_^;
↓現在の小田さん(公式Facebookからお借りしました)
社会人数年後は忙しくて少し小田熱は冷めたのですが、その頃を除くほぼすべてのツアーに参加しています。
昔は男女の愛についての歌が当然ながら好きだったのですが、年を取ると愛でも人間愛っぽい方や人生に関する歌の方に共感が移ってくるのもので、いつしかライブに来る他のお客様も男性が増えたような(オフコース時代は体感ですが圧倒的に女性だったと思います)。
70歳を超えた今でも変わらぬ美声なのはもちろん体型も変わらずスリムですが、昔のどことなくトガっていた感じからは考えられないくらい丸くなった(ファンサービス、という意味)今の小田さん。「ババア」発言など口が悪い面もあるのですけれど
あまりに書くと痛いファンでしかないことを証明してしまうので止めておきますが(いや、既にそうですね)、とにかくライブでの歌声が魂を揺さぶられると同時に、「いつまで小田さんはライブしてくれるのかな」と不安になる今日この頃、毎回ライブツアーがあるたびに「今回で最後かもしれない(ちょっと不謹慎ですが)」という気持ちを抱きつつチケット抽選に挑んでおります。
今回は、初めて小田さんのライブに行くパートの先輩と共に参戦。
ライブでのお約束事などを伝授(笑)しながらワクワクして待ちました。
小田さんのライブ会場の作り方の特徴といえば「花道」です。
ライブ中の結構な時間をその花道を使って小田さんが歌いながら移動するスタイルはすっかり定着しました。
できるだけ観客に近づけるように小田さんが考えているという、オフコース時代では考えられないスタイルなのですが、今回の席はアリーナで結構花道も近い場所でした。
今年の1月の大阪城ホールでもかなり花道に近い席が取れて大満足だったのですが、神戸は会場サイズが小さいので花道の移動距離が短い=歩く回数が増える、と勝手に想像して喜んでいました(実際そうだったのですが)。
「ラブ・ストーリーは突然に」で、その時は突然に
ついつい日常でも「〇〇は突然に」を使いがちなのですが、これってドラマ「東京ラブストーリー」以降に出てきた表記かなと思います(個人の感想)。
その主題歌だった「ラブ・ストーリーは突然に」。
初めてそのタイトルを聞いたときは「今なんていったの?←Yes-No」と思いました。
今までの小田さんのタイトルでこんな下世話な感じはなかったもので(と思います)。
しかし、これ以外に考えられないタイトルじゃないかと今では納得。
で、この歌はライブでは大抵小田さんが花道から観客のいる席の通路に降りて歌いながら練り歩く演出になるのです。
今回私たちの席の後ろがたまたま通路になっていて、そこにライブスタッフの人がスーッと通って行った時に「まさか、ね…」と思ったのですが、そのまさかが現実になりました。
なんと小田さんがその通路側に向きを変えてこちらに近づいて来たのでした!
ええええええ!ですよ、もう。
そして、私の目の前距離にして数十センチ(手を伸ばせば触れる)まで近づいたのでした。
ああいう時は…何もできないものなのですね。
35年以上の思いが成就したのに、肝心の顔が見られなかった…いや、しっかり見ているのですがなぜか脳の記憶部位がまっしろになって、覚えているのは白のTシャツを着た小田さんの背中。
横にいたパートの先輩は「ばっちり見たよ!初めてのライブだけどラッキー!」と喜んでいました。
ああ、私、なんで顔見れなかったのだろう←乙女かっ!
その後も小田さんは観客席や2階席までの階段を上ってファンサービスしてくださいました。
「あの日あの時あの場所で君に会えなかったら・・・」いやあ、生きててよかった、会社辞めててよかった←言い過ぎですが(笑)
その日はアンコールも含めて30曲ほど小田さんは全力で歌っていました。
私はその姿を見て、腐らず頑張れば自ずと結果はついてくるというのは本当のことかもと納得しました。
小田さんはずーっとトップにいたわけではなく、オフコースが売れるまでも下積み時代が長かったし、その後ソロで大ヒットがあった後は低空飛行、しかも自動車事故を起こして大けがを負って一時は再起できるの?!という時期もありました。
その後体調が復活して、21世紀に入ってから「キラキラ(深津絵里主演の名ドラマ「恋ノチカラ」の主題歌)」で若い世代の方に知ってもらって再評価されるきっかけになったのでは?と個人の感想ですが思っています。
初めは小田さんを自分にとってのアイドル(って失礼ですが)のような存在と思っていましたが、今は人生のものすごい大先輩という風に見ています。
あれほどストイックには生きていけないけれど、背中を見続けていたい気にさせられました。
なお、そのライブで小田さんが着ていたTシャツは、白地に赤の文字で「BORN TO LOVE」と書かれていました。
帰ってからネットで検索しましたが見つかりません。←ここが痛いファン状態
↓<追記>後日ネットで発見しましたが、SANDRO (サンドロ)というインポートブランドでした。しかしお高いので購入は見送り…画像はお借りしました。
その代わりといっては何ですが、以前のライブで着ていたアニエス・ベーオムのTシャツの色違い(小田さんのは白)をネットでポチりました。
初めてのメンズサイズ(一番小さいの)ですが、袖丈など今年のシルエットぽくてこっちの方でちょうどよかったかも^_^;
こんなところで思わず浪費しましたが、今年はTシャツ気分なので良しとします(笑)。
とにかく、「あなたに会えて本当によかった 嬉しくて嬉しくて言葉にできない」1日となりました。
久々に毎日小田さんの曲を聴いている今日この頃です^_^;