有名人がウンチクを垂れながら語って答えを選んだ後、不正解だったらどんどん格が落ちて最後はTVに映す価値なしとなるあの番組。
昨日は音楽をテーマにやっていていました。
私、この番組結構好きなんです^_^
母親と大抵見ていて、二人のコミュニケーションのきっかけにもなります(うちはTVがかすがいみたいな親子)。
知ったかぶっているといえば…
さて、いつもはそれでおしまいなのですが、ふと「自分はちゃんと判断出来るのかしら」と思ったのです。
これは別に高額な楽器演奏や高級食材が聴き分け・見極められるのかということを自分に求めているだけではありません(結構無理〜)。
パッと見た目やちょっと食べただけでは本当の価値の優劣がわからないものだから、自分の判断基準軸がどこにあるのか、ということでもあります。
例えば高級ファッションブランドのアイテム。
ロゴや特徴的なデザインのものが多く、見てわかりやすいですよね。
で、使ってみると…さすがというものもあれば、うまく使いこなせないとか、イマイチ使い勝手が…なんてことはありませんか?
私も使って「これだったらもっと安いアレでよかった」と思うことも多々あります。
もちろん、多少扱いづらくとも所有欲をひたすら満たしてくれるとか、手がかかる方が愛着が湧く!というものもあります。
よく呟いている「一生ものってどうなの(そんなものは実際は稀有)」という話と繋がっていますが、TV番組のようにプロが演奏すれば安い楽器でも十分過ぎるほど美しいと感じます。そのプロの方々がどう思っているかは置いといて、ですが^_^;
「弘法筆を選ばず」と昔から言いますが、高級なものでないと字が上手に書けない訳ではないでしょうし…。
見極める目は持っていたい…かな
でもこういった付加価値的なものは、単純に測れないものがあるのですよね。
モノが作られる背景や抱えている製造・販売体制など、それぞれにはちゃんと意味も意義もあるのです。
なので高級なものがどうしても高い値段になるのは仕方ないし、それが逆に憧れの対象になる所以かもしれません。
ということで、価格と品質のバランスが良いものというのが所謂お得感のある買物かと思います。
自分がそれを使ってどう感じるのか。
良い買い物が出来た、安く買えた、間に合わせで買った、安かろう悪かろう、高かったのにすぐダメになった、値段なりの耐久性だ…成功&失敗を繰り返し、色々な感じ方をしていくことで買物の判断力が身についたり、いわゆる目利きになるのでしょう。
そういう意味では私もまだまだわかってないのだと思います。
先程「弘法筆を選ばず」と言いましたが、一定以上の能力を持つ方(弘法様は超人!だったけど)というのは、ツールの良し悪しを把握できてそれらの機能やパフォーマンスを高める使い方が出来るのです。
だから、その分野で苦手だったり素人であれば「ある程度筆は選んだ方がいい」と解釈しています。
ブランドの威力を借りることは恥ずかしいことでもないし、かといってそれでなんでもOKでもないということを肝に銘じておけばいいのです(個人の感想ですが)。
さて。
出来ればブランドアイテムを買う方が結果損しない、というのが自分の過去の買物判断基準でした。
当時仕事で間接的にその世界に関わっていたようなところもあるので、それなりの付加価値にお金を払うのは経済活動としても当然だと思っていました。
でも、だんだんそういうのも「まあどうでも良いのかな」と考え方に変化が出てきました。
自分が直感的に惹かれるものを冷静に分析して、それがやっぱり自分にフィットすると確信したらブランド・ノーブランドに拘らず選べばいいのかな、と。
ま、いつものごとく何が言いたいのか、なのですが…自分の価値観も少しずつ変わって行くことを面白く感じようということなのです。
過去にモノを捨てる活動を経て、残ったものを見て「あれ、理想はこうだった?」とその行動が結果願っていた暮らしと違ってきたことで、新たな苦しさを感じていた3年ほど前をふと思い出したのです。
そしてまもなく実家に帰ってきて2年が過ぎようとしています。
まだ目利きではないけど、小さな良い変化はしているのかな?いや、まだまだ道中だ、なんて思っています。
そしてもっと頭や心への投資(って大げさだけど)が必要なのかなと思っています。
やっぱり感性を磨くことは何をするにも大事なベースなんですよね。
おそらくそれは死ぬまで磨けるものですし、投資のしがいがあるかも^_^
まずは美味しいものを食べて、音楽を聴いて、本を読んで、絵や映画とかを観たり…と気軽なものから始めよう。
やっと秋らしくなってきたから、そんな気分にさせられたのでしょうか。
今日は肌寒いので薄いストールを肩に羽織って家を出ました。
こんな「重ねるコーディネート」が出来る小さな喜びに感謝(自己満足^_^;)。