自宅にいる時間をより幸せにする方法の一つ
テレワークがスタートして約3週間。
家の中にいる時間が圧倒的に長いと、休日(+GWも)と労働日の区別がつきにくく、いろいろと感覚が鈍るような?
通勤時間を気にしないでいいということもあり、寝る時間までだらだらしている気もします。
流石に寝る時の服装と起きている時のそれは違いますが、不要不急のお出掛けをしないことで、どこかON・OFFのスイッチも緩んでいるような。
でも、そこは仕方ないよね〜と諦めて(笑)、そんな「感度」や「センサー」を刺激してくれるアイテムの力を借りようと思うのです。
それは…「香り」です。
なんだ、そんなこと?という声もあろうかと思いますが、単純でも幸福感を感じるのは五感へダイレクトアプローチするモノコトなので、美味しいものを食べるとか、好きな音楽を聴くとか、家で爪のお手入れをする(きれいになった手元を見ると嬉しい!)とか、部屋が整っているのを見て清々しくなるとかと同じようなものです。
昔は後回しにしていたこと
と言っても、私は匂いフェチではないし、フレグランスに明るいわけでもなく、どちらかというと無頓着な方です。
一時期洗濯の柔軟剤の香りブーム(ブームというより今やスタンダード?)がありましたが、私は結構これが苦手で。
なので、無香料の柔軟剤が出た時は喜んで使っていました。
でも最近心境の変化で、香りを楽しむことって不要不急でもなくむしろ贅沢かもしれないけれど、割と大事なこと?なんて思うようになりました。
音楽もちょっと似た所があるかもしれないのですが、目に見えないもの(形がないもの)だから心に作用するパワーが強いような気がするのです。
他には触覚もそういうものかもしれませんが、ダイレクトに脳につながっていそうなのが嗅覚で、印象的な匂いは記憶に残りやすいような。
そういえば昔から…例えば「源氏物語」で、その人を表す際に「匂ひ」というワードが出て来たような。←あ、匂宮とか薫の君とかだわ。
インヴィジブルなのに存在感がある
昔お気に入りの香りの話をブログで書いたのですが(割とちょいちょい香りにまつわることは書いていたことに改めて気付きました)…。
チビチビ使っていたコロンがなくなったので、コストカットでしばらくフレグランスは不要アイテムにしてしまおうと思っていたのです。
しかし、そんな頃にコロナ禍が身近になって、ふと香りを感じられることは幸せでは?と思ったのです。
新型コロナウイルス感染症について語られる時に頻繁に出て来た「匂いや味を感じなくなる」初期症状がそういう思いの原因なのですが、動物としても基本的な感覚が壊されるかもしれないという恐怖感から無意識にそう捉えたのかは?です^ ^;
でも、一般的に当たり前とされる機能が損なわれることは怖いですよね。
嫌な臭いを嗅いだ時でも、それが嗅覚センサーが正常に働いている証拠と考えると、香りを感じて暮らすことの当たり前を噛みしめたくなります。
で、在宅時間が長くなると、自分でスイッチの切り替えをしないとずっと同じリズムが続く感じになります。
これって、感性が鈍ることにも繋がりそうな気がするのです。
別に、いろいろな香りを使おうということではなく、休憩のように香りを使ったりするのがいいなと単純に思ったのです。
それで止めようと思ったコロンを復活(再注文)しました。
↓私が買ったのは並行輸入ショップですが、公式サイトはこちらです
結果、やっぱりウキウキしました。
この香りは落ち着くとか深いタイプではなく、フレッシュな感じなんですよね。
良い香りと言われるものは他にもあるけれど、自分があまり濃い香りは求めていないので、スイッチングにはこれぐらいライトな感じが合います。
コロンなのですぐに香りは消えていくのですが、朝、昼、寝る前にちょっと使いで幸福感を得ることができるなら、コスパも良いというものです^ ^あら、こんなところで関西人の血が騒ぐ?!
見えないくせに、しっかりとその存在感を発揮してくれる香り…うーん、侮れません!
本当にセーブしないといけない日が来るまでは
さて、アリとキリギリスで言うと、間違いなくキリギリスな私です。
気がついたら餌のない冬が来て、息絶える可能性がある…それが物語ではなく現実になるのかもしれないと、リアルに思う時代がもう来たのかもしれません。
さすがに「全盛期のキリギリス」ではない自覚はあるし、スモールライフに移行しているものの、そういう危機感は強まっています。
しかし、それでも今を心地よく過ごすことが自分のライフスタイルに大事な要素なので、状況を見ながら継続と休止(終了)を見定めたいです。
もう豪華なものへの欲は小さくなりました(決してなくなったと言わないのが私だ^_^;)が、小さい感動は持ち続けたいし、不快な気持ちは出来るだけ手放したいです。
何だかんだで一番は健康なのだなと思いますが、他は何も要らない!の境地にはまだまだ至りません。
欲深いのは浅ましいと思うことがありますが(これでも)、自分が生きていることの確認がこういうこともの含まれてるのではないかい?
俗物な自分をもう少しだけ許しておこうという話でした^_^;