代々まで伝えたい、ってひょっとしてエゴ?
まだそんな歳じゃないと言いつつ、何があるかわからないのも然り。
ということで、たまに考えるのが終活。
でも、遺書を書くとか、生前整理的なことをするとかはまだノープランです。
姪っ子たちに私の大事にしていたモノを受け取ってもらおうと考えてはいました。
でも「それって実際姪っ子の負担にならない?」と最近思うようになってきました。
そして「押し付けの優しさ」 に気づかなかったあの頃…汗
私は過去、捨てハイ状態だった時に、いろいろな人に自分のいらない服やファッショングッズをあげていました。
私は「結構値段がいいものだったからね」「お手入れすればずーっと使えるよ」「この素材は英国御用達のどうこう…」などとうんちくなどを交えて渡していました。
もらってくれた人は喜んでくれていたように見えたけれど…今思うと、その後その処理に困っていたかもしれません。
今では自分のエゴの押し付け・ありがた迷惑な行為だったわ…と赤面します。
だって、いいものかどうかは私が決めることではないのですよね。
実は「好きに使って、処分もリサイクルショップに売るなりしていいよ」と言って親しい人に渡したカシミアのストールがピアノの埃除けに使われていたのを見て、「うーん、そういう使い方をするとは想定外(ショック…)」と思ったのです。
でもよく考えたら、「不要なものを無理矢理私は押し付けたのだ」とあとから反省しました。
いわゆる「一生物アイテムが、誰にとってもそうだと限らない」ことを知る。
ファッションアイテムの「一生物」について何度も何度もブログに書いていますが、その価値観を共有できる人に差し上げたら、ひょっとすると本当に「一生物」になるのかもしれません。
でも、それを決めるのもやはりもらった人。
価値観も人それぞれですしね。
執着しているのはどうも自分だけのようです。
自分にとって大事と思う人たちとは別の形で交流を深めるとかの方が良いのでしょう。
旅行に行くとか、美味しいものを食べに行くとか。
年を経て、いわゆる「モノより思い出」づくりが大事と思えるようになりました。
そういえば…私も祖母や母から受け継いでいるモノが一つもないです。
でも「寂しくないな。しかもない方が縛られず、楽だ」そういう自分がいます。
残してくれなくてありがとう、です。
これから自分の持ち物を手放す時は、そういった点を意識して最適な方法(例えばリサイクルショップに売る)を選ぶと思います。
あ、こんなことを言ってますが、まだまだ手元に置いておくものがほとんどです^_^;