LIVE MY LIFE BE FREE!

心地よい暮らしを目指すアラフィフ。ライフオーガナイザー1級取得。

人のため?それは自分のためなのかもしれない(ちょっと戒め)。

仕事では割と人に合わす方かと思っていますが、プライベートでは自分の主張がどうしても強く出てしまいがちな私。

インテリアなどの普段目にするものへは制限があったとしてもこだわりたい方です。

しかし「自分のこだわりを持つ」ことの良さと、逆に「執着することの愚かさ」について時に迷いが生じることも…^_^;

 

母の努力のおかげ…かも

今は実家にいて、家のオーナーは現在母です。

亡くなった父と共にこの家を建ててくれました。

そのおかげで私は路頭に迷うことなく暮らせています。

しかし…こだわりの強い私のことですから、そもそもこの家の作りから内装、置いてあるモノは気に入っていません。

実家に帰ってきた直後はそれほど気にならなかった(というか、気持ちの落ち込みが上回っていた)のが、だんだん正気に戻ってくるとその老朽化具合にも耐えられなくなりました。

そこで昨年夏にLDKをリフォームしました。この話はしつこいぐらいブログにしていますね

家に居るときは、寝る以外はほぼこのスペースで活動しているので、心地よく過ごすための自分への約束として「散らかさない」「汚さない・汚してもすぐ掃除」「寝る前のリセット」を掲げています。

これも初めからやっているので私は苦ではないですが…きっと母は内心「面倒臭い娘め」と思っていることでしょう^_^;

 

そもそも母とは好みや性格などが違う(って、普通はそういうものですよね)ので、母が選ぶインテリア・装飾品などは私の好みからは大きくブレていました。

正確に言うと、母の趣味だけでなく祖母の方の趣味と入り混じっていたのでテーストがバラバラで、且つ不要と思われるモノがたくさん。

さすがに祖母も父も他界して20年近くになるので、それなりに荷物などは減っていましたし、スペースは余っているので置き場所には確かに困らないのですが。

お金があったら全面リフォームか別でマンションを買うなりしてコンパクトに暮らしたいですが、おそらくこれは一生無理なので、できるところから片付ける・部分リフォームしていくしかないのです。外壁塗装とかもしなくては。

 

さて、同じ志向(嗜好)だといいのですが、母のセンスが自分と違うことは昔からわかっていたので、お金を出した者特権を乱用して、リフォームでは自分の好みを優先しました。

私は北欧系が好きなので、奮発してヤコブセンデザインのbテーブルと、昔買ったセブンチェアを合わせたのですが、母にとってはセブンチェアは座りにくいとの評価。

露骨に嫌とは言わないけれど、やんわり拒否されました^_^;

ではどんな椅子に座っていたのかというと、ニトリで私が昔買っていたフォールディングチェア(って書くとかっこいいけれど、座面の小さいパイプ折りたたみ椅子)です。

私からすれば、こちらの方が安定感もないし、大きいお尻にこの小さい座面って…なのですが、セブンチェアの座面が母にフィットしないと言われればそれまでです。

しかし母は私に気遣って今あるものを使ったのでした(他の椅子はリフォーム前に処分したのでこれしかなかった)。

 

ある意味、母の方が私よりミニマリスト気質に近いのかもしれません。

嫁に来るまではどちらかというとモノが少ない暮らしで、今でも大事にモノを使います。

20年以上前に祖母が使っていた布団や布団カバーを今でも使っていますし、祖母が東京からここに持ってきたカーペット(おそらく40年以上前のもの)を、リフォーム前までダイニングテーブルの下に敷いていました。

私が数ページ使って捨てたノート類もよくゴミ箱から回収して、今でもそのうちの1冊を家計簿ノートとして使っているので、見るたび内心私はハッとしています(ほかにも「捨てたゴミ拾うなんてプライバシーの侵害!」って思ったことが何度もありました)。

 

考えてみると、母はそもそもモノを多くは買いません。

もらったモノをこだわりなく使い、かなりボロくなっても気にせず、収納グッズも多くは持っていなくて、祖母が使っていた家具を流用しています。

しかし、根本は「捨てられない人」なので、こちらが促さないとすぐには捨てません。

これは言い換えると…母にとっては「捨てる必要がないから残している」だけで、モノへのこだわりがそれほどないから、いざとなったら捨てられるのでしょう。

私は…自分が不快になるから不要なものはできるだけ早く手放したい派で、さらに他人のこともお構いなしに断行するタイプです。

これはこれで家庭内不和の原因になると思いますが、母のこの性格のおかげで私は割と心置きなくミニマルライフ準備を実現できているのかもしれません。

 

自分だけがやっていると勘違いしないように

長々と書きましたが、言いたかったのは同居人の協力で暮らしが成り立っているということです。

みんながみんな自分の主張を出し合うと家はたちまちカオスな空間になります。

よって、おそらく大抵は家の中で家事を担う方が、優先的に主導権を持って家具の配置や機能について任されているイメージかと(個人の感想)。 

でもせっかく「ここにはこれをこうやって置いて欲しい・片付けて欲しい」と思ってレイアウトしても、ポイっと置きっ放しにされたりしてプチストレスが溜まるような出来事が日常茶飯事だったりするのでしょうね。

私も、母が割とガサツタイプなので「もっとちゃんと片付けて~!」と思うこともあります。

しかし、自分もガサツだったりもするので一方的には責められません。

それに私も母親に心地よく過ごしてもらえているのかな?無理強いさせているのかも…と反省は一応しますし、ふと「相手に求めすぎているのかも」と自分を戒めることもあります。

「自分が気分良く過ごすために常にきれいにしたい」というのが私の価値観で、母は「こだわりもそもそもないし、年取ったから難しく考えないように過ごせたらいい」という価値観かもしれません。

もし母が「私はもっとこんなインテリアにしたかった!」とこだわりを強く持っていたら…きっと同居は無理でしょうね(笑)。

こういうときにこだわりが強いことへのデメリットを感じつつも、結局自分流は継続しちゃうのですが^_^;

 

さて、最近母がニトリで自分用の椅子を買ってきました。

その前、母の友人と一緒に見に行った際に、「友人が『娘さんの許可がいるんじゃない?一緒に見にきてもらったら?』とアドバイスされたけど…」と母に言われました。

私はネットでその商品を見て「色味はこっちがいいんじゃない?お金は自分で出してね^_^」と答え、一緒には見に行きませんでした。

欲を言えば「こういう椅子がいいな」と提案もしたかったのですが、やっぱり私が座る椅子じゃないから、母が座り心地が良くないと名作といわれる椅子でもダメだろうと思ったのです。

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やってきた椅子は、思った以上に空間に馴染みました。

これで多少母もストレスなく食事できるならそれで良し。

私も歳を取れば母の気持ちがもっとわかるかもしれません。

見た目だけでは判断できないこともこれから多々あるでしょうし…。

こんな感じでまだまだ自分ファーストが出てしまうけれど、許容範囲がもっと広くなれた結果もっと気持ちよく過ごせるのでしょうか、ね?

 

それと、多くを持たない暮らしは最大公約数的な効果もあると改めて思いましたよ。

いきなり好みを優先して揃えても持て余したり使いこなせない事例は過去にもありました。

少ない方が切り替えもしやすいし、だんだん欲求も削がれていくようにも思います。

たくさん持っている時の方が「もっと別のモノが欲しい」という気にさせられたような。

捨てまくる暮らしから落ち着いた今だから、少し柔軟に構えることができるようになったのかもしれません。