LIVE MY LIFE BE FREE!

自分にとっての心地よい暮らしのあれやこれやを綴ります。

宮本浩次コンサート「ロマンスの夜 中之島」から思う、カバーソングのレーゾンデートル。

LIVE MY LIFE BE FREE! - にほんブログ村

「ロマンスの夜」に招待されました(正確に言えばチケット購入できた^_^;)

昨年12月と今年の1月に行われた宮本浩次さんのコンサート「ロマンスの夜」。

宮本さんのライフワーク的なライブになっていくであろうこのコンセプチュアルなコンサート、今年度(?)は大阪&東京で開催。

f:id:icelifestyle:20231123162931j:image

ということで、11/20(月)・21(火)のフェスティバルホール(大阪・中之島)での公演に、いつものエビバデ友人と参戦しました。

改修前のフェスティバルホールには小田さんのコンサートツアーで1度訪れたことがありました(その時は3階の最後列ぐらいの席で、とても舞台が遠く見えました)

元々音がいい!と評判のホール、予想の斜め上を行く歌唱の宮本さん&小林武史さん達の手練れの楽器隊の息の合ったパフォーマンスで幸せホルモンがダダ洩れた2日間となりました。

f:id:icelifestyle:20231123162757j:image

今回の「ロマンスの夜」公演は、東京公演が終わってからまとめてログしようと思いましたが、カバーソングについて自分の思ったことを今回はログします。

↓コンサートの話題が出てくると、ありがたいことにアクセスが増える過去記事。

www.icelifestyle.site

www.icelifestyle.site

 

カバーの是非…私はアリ!と思う

令和において意外と昭和・平成に発表された曲やアーティストたちの再評価がニュースになるようになり、当時のオリジナルだけでなくカバーも沢山発表されていますよね。

一方で、カバーソングにはやや否定的な意見を見聞きする機会も増えました(個人の感想かもですが)。

私も好きなカバー・うーん、と思うカバーはもちろんありますが、カバーされるというのは原曲を歌っている方やそれに関わったスタッフにとっては悪くないことなのでは?と推測します。

 

さて、私の場合の話ですが、カバーソングっていいなと思ったきっかけの一つが、小田和正さんがホスト役を務めている番組「クリスマスの約束」で、小田さんが自らカバーを一人で歌った初回放送(2001年)を観たこと。

当時小田さんが他人の歌を、しかもTVで1人で歌うという奇跡のようなことをやってのけたこと、またそれらが私の想像を超えて、カバーした曲たちが小田さんの色になっていたことの衝撃で、すっかり「もっと小田さんの声で、いろいろな人の曲を聴いてみたい!」と感じるようになりました。

クリスマスの約束 - Wikipedia

www.tbs.co.jp

fooop24.com

この番組はその後ほぼ毎年のようにオンエアされるようになるにつれて、だんだん小田さんがメインで歌うことが激減したのですが、ファンの欲目があれど、「カバー=他人の褌で相撲を取る」的な考えは、オーバーですが自分のこれからの人生の可能性を消しちゃうことになるのかも…と思うようになりました。

カバーソングがタイムマシーン的な役割を果たしてくれることも多くて、懐かしく思うこともあれば、曲の解釈が変わった(いい意味で)とか、知らなかった歌を教えてもらえて何だか得した(身近に感じるようになった)気持ちになったり。

自分が幼い頃に古臭さを感じていた「歌謡曲」とまとめられるジャンルも、数十年の時を経ることで逆に「なんてカッコいいんだ!」と驚くことも。

そういうことを令和の若い人たちが判っているのが、なんだか捨てたもんじゃねえなと思わせてくれると、オバサンは一人思うのです(*´ω`*)。

 

私が宮本さん沼にハマった話は、このブログで何度も触れているのですが…。

www.icelifestyle.site

この時、宮本さんがカバーで「異邦人」を歌われたのですが、自分が知っているその曲と違いがあり過ぎて、びっくりしたのと同時にそう来たか~!という新鮮さが。

男っぽいと思っていた宮本さんが女性の歌を歌う意外性と、カバーならではの親近感や共感性のマリアージュはエグかった…(これ、褒めてます!)。

さて、原曲がそれなりに評価されているからカバーされるパターンが多いと思いますが、このせいで「懐かしいよね」とか「カバーより原曲がやっぱり一番」で終わる可能性も高くて、うかつに手を出すと痛い目に合う諸刃の剣のようなところがあります。

特に、シンガーソングライター的なポジションの方がカバーソングを発表すると、自分の作品が売れないから?とか、原曲の世界観が壊されたとか。

そう考えると、カバーソングってとっつきやすいように見せて、逆にハードルが上がって結構な「賭け」のような存在にも思えます。

そもそも「カラオケ」や「歌マネ」とも違うし、その歌の持つ「個性」をどう扱うのかという、カバーする側の器量も求められるでしょう。

そして歌う本人はともかく、リスナーがどう受け取るのかでも様々な答えが出ると思います。

私にとっては、小田さんや宮本さんの声や歌でカバーを聴くことがとても気持ちよく感じられるのですが、他の人はそれを拒否するパターンも当然にある訳で。

万人受けするカバーは正直なかなかないと思いますが、「しっくりくる」とか、「そう来たか(思ってたのと違うけどこれはこれでいい)」と、心の琴線にピロンと触れたら…そのカバーは支持される割合が高まるのかな?と思います。

 

レーゾンデートル」というワードを思い出した

話は変わりますが、私は過去に百貨店勤務をしており、中間管理職になった辺りから「百貨店のレーゾンデートル」という言葉を度々目にしておりました。

レーゾンデートル(フランス語)の日本語訳は「存在理由」「存在価値」でして、百貨店の同質化がずいぶん前から問題になっていた中で何度となく「百貨店のレーゾンデートル」について議論が行われていたり、それを踏まえてマーケティングや改装計画&実施をしていました。

コロナ禍を経た現在、また新しいテーマや課題で熱い議論が交わされていることでしょうが…。

“御用達型”百貨店の提案/商店建築2003年10月号掲載/有限会社ティーポット

 

この存在理由や価値って、何もない所から急にポンと出て来るというより、過去の実績を検証したりすることで新たな解釈を見出して再構築されていくことで確立されたりするのかと思うのです。

古くはルネサンス、現在だと昭和・平成レトロは文化のレーゾンデートル的発想から来たムーブメントやトレンドかなと思うのです。

自分が若かった70年代~90年代前半に流行ったものを今(2023年)見ると、自分でも新鮮だったり、当時気づいていないこともあるし、意外とかっこよかったのかも?と見方が変わったこともあります。

そして当時をリアルタイムで経験した人たちと、新しい事象として受け入れる若い人たちの両方を獲得できると…とても大きいマーケットが出来上がります。

カバーソングブームはこの一つで、それを歌うアーティストにとっては、新しい経路から自身の新規客獲得する有効な手段になるのだと思います。

カバーソング自身も、ただの懐かしいツールで終わるのか、違う歌い手が新しい命を吹き込むことでまた歌い継がれていくのか…カバーソング自体もそのレーゾンデートルを問われています。

人口構成やSNSによって埋もれていたアーカイブが復活する現在、カバーソングを歌うアーティストたちの存在をもっと肯定的に受け止めたらいいんじゃないかな?と思います。

もちろん、「コレジャナイ感」であるカバーソングもあるのも事実で(個人の感想で変わりますよね)、それを否定することも自由。

 

さて、ここで推し話(笑)。

今回のコンサートのために、新たにカバー&配信された「Woman"Wの悲劇」。

↓敢えて抑えめ歌唱の宮本さんバージョン


www.youtube.com

↓本家の薬師丸ひろ子さんバージョン、神々しさが半端ない。

www.youtube.com

薬師丸ひろ子さんの方は、発表当時も流行っていましたが、そこまで心に残っていなくて。

でも、長い年月を経てから、薬師丸ひろ子さんが歌唱された同曲を耳にした時、鳥肌が立つほど素晴らしく、これが何年経っても残る名曲(懐かしいという言葉で終わらない現役感)と思っていました。

しかし、まさか今回宮本さんが歌うとは思っていなかったので、そのギャップにまず驚き、実際の歌唱が予想に反してかなり抑えめだった(あくまで宮本さんの通常比^_^;)ことで歌の情念がより感じられました。

薬師丸さんのバージョンでは高音の浄化力で耳が癒されましたが、宮本さんバージョンは心がつかまれるような苦しい感じで切なさが倍増(私、こんな恋愛してないのに、何故かしたような気になる笑)。

歌を聴いた後に、松本隆さんの歌詞の凄さ&ユーミンの作曲能力の凄さも再認識しました。

そしてこうやって、若い頃に全く気づかなかったことを今になって知ることが出来たのは、カバーしたのが宮本さんだったからです。

もちろん、そうでなくてもWomanは素晴らしい曲の一つだと思いますが、自分にここまでぐっと近づいて来る曲とは思っていなかったのです。

改めて、カバーのおかげでこの曲と再会&好きな曲が増えました。

 

…ということで、毎度まとまらない内容になっていますが(笑)。

カバーソングを出すと、肯定派と同時に否定派がそれぞれ発言するのはこれはもう自由(否定派のコメントは時に悲しくなるけれど)。

そして肯定派・否定派関係なくカバーされる歌は、すっと後世に残っていく=カバーソングのレーゾンデートルは高まっていくのです。

カバーされない歌がダメということではないですが、される曲の方が曲も幸せなのかなと思いますし、カバーしたくなる歌って、受け手側も歌いたくなるものが多いです。

あ、少しニュアンスが変わりますが、「温故知新」という言葉もカバーソングと通じるものがあるような。

一般的に「故きを温ねて新しきを知る」という孔子の言葉(論語)ですが、孔子と言えば宮本浩次さんを思い出します(これはファンだからですね^_^;)。

新しいことを取り入れる・学ぶことも大事ですが、自分の通り過ぎてきた時代やその前からある事象にも、これからの生きるヒント的なものが隠れているだなんて、ちょっとロマンを感じます。

とまあ、カバーコンサートから話は飛躍(脱線?)していますが、ここで大事なことを言い忘れていたので記します。

「ロマンスの夜」、大阪公演めっちゃ良かったのよ~!